普通を生きる

しばらく更新してませんでした。色々あって。

このブログを始めてから1年になろうとしてるんですけど、環境は大きく変わりました。変えました。

「普通」になりたかった。

理由はそれだけです。

高校生のときはただのメンヘラで手首を切って、常に死にたくて、彼氏に依存してなんとか生きてるっていう生活でした。正直1番キツかったかもしれない。

大学では絶対にメンヘラをどうにかしたくて足掻きに足掻きました。精神科行って薬飲んだり、性生活を工夫したり、依存先を増やすために詩を作ったり。自分が囚われてるのは性に関することだったから、特に性のことについてかなりこだわって、色々やばいことにも手を出して。考え方も価値観も、自分が楽に生きるためにフィットするものを取り入れて。

結果として良くなったと思う、こんなに楽だよって高校生のときの自分に言ってあげたい、誰かに依存しなくても生きていけるし、死にたさも月1耐えればどうにかなる、くらいまで来たんです。それがこのブログを書き始めた一年前。

でもダメだった。たった1回の希死念慮に負けそうになって。これだけ積み上げてもダメなのかと思ってくらくらした。

だからさらに積み上げるにあたり、方向性を変えました。「どうしたら苦痛から逃れながら生きられるか」を一旦置いておいて、「自分は今後どう生きていきたいか」を考えることにしたんですよ。

そしたら自分でも意外だったんですけど、出てきたのは「普通のお母さんになりたい、普通の家庭を作りたい」でした。自分には与えられなかったものがほしくなったんですかね。自分でもこれが素直に出てきたときちょっと驚いたけど。でもよく考えたら大学のうちにメンヘラをどうにかして普通になるんだ、って考えていたんだからそりゃそうだという感じでした。

その視点で自分を見るとまぁめちゃくちゃでした。それまでは、ひとりで希死念慮と戦うのに最適化したコースを作っていたのでそりゃ普通とは程遠いですよね。だから価値観も行動も「普通」に整える作業を今年1年かけてやりました。

まっとうな彼氏を作って、浮気をせず、危ないことはせず、ごはんをきちんと食べる、Twitterも過去の自分を刺激するようなもの見ない。金銭感覚もきちんとする。

全然変わりました。わたし変わったんですよ。希死念慮はまだ時々あるけど、彼氏が嫌がることに手を出さずに解決できるし。浮気欲もだんだんなくなってきて。なんとなく「普通」の感覚が身についてきたように思います。

それはうれしいことでもあり、一方で少し寂しくもあることなんです。ひとりで希死念慮と戦うために編み出してきた沢山の努力がどんどん無効化されていく。むかしは共感できていたことに共感できなくなる。過去の自分を少しずつ喪失していっていることが本当に悲しくて。

でもそうやって生きていくんだと思います。わたしが選んだ道なので。もしかしたら普通に生きていくのはやっぱり向いてなくて、破綻するのかもしれないけれど、ぎりぎりひとりで希死念慮と戦える技術くらいはあるので、あまり恐れずやっていこうと思います。