お母さんの自由

お母さんが一生懸命努力して我慢して子どもに尽くす、それは素晴らしいという内容の曲の歌詞が話題になった。

Twitter上ではたくさん批判されて、わたしはこんなに我慢せずにお母さんをやっています、みたいなタグができる。


わたし自身はどちらかと言えば批判する側の思想を持った人間だと思う。ただ「お母さんだからって我慢しなくていい」と言われると違和感がある。それはまだわたしが子どもの立場だからだろう。そしてまだ母になったことがないからだろう。


もう少し言えば、私は「自由に生きた」母のことをまだ許せていないのだ。

共働きだったことも、離婚したことも、貯金が苦手だったことも不満には思っていない。全く思わないかと言われると、そりゃあ貯金上手な専業主婦の方がよかったかもしれないけど、母が育てたからこそできた私の長所もあるのだろうし…母が働いたり離婚したりして、苦労してでも自分自身を大切にして生きているのを見て、私もそう生きようと感じている。そこは「お母さんだって自由に生きる」という批判派と近い意見だ。


ただどうしても飲み込めないこともある。私の血の半分を愛してくれなかったことだ。母は私を「私の右腕」と言ったけれど、実際には私は父と母の子だったのだ。母は自由に生きた結果として、私の半分を否定する(と感じさせる)行動をとった。私はまだそれを許せていない。(許せないというのは怒っているとは違って、喉に引っかかって上手く飲み込めないくらいの意味だ)


存分に母に愛され、なに不自由なく暮らせたことには本当に感謝している。でもお母さんだって自由だ、という批判を見ると「母に再婚しないで欲しかった」と思う我儘な自分が顔を出すのだ。母が自由に振舞ったことによって、私は傷ついたじゃないか。子どもは親についていくしかないのに、母が自由を謳歌するのは無責任じゃないのか。


正直この問題に関しては自分の中の答えが出ていなくて、いつかこの不満が自分の腑に落ちる形で収束するといいなと思っている。今のところの結論は、わたしは絶対に同じことをしないということだ。


親は子どものためになにもかも我慢しろなんて思わないけど、子どもの気持ちは考えてほしいなとは思ったりする。子どもも親の気持ちを汲もうと頑張っているので。